日常ツバメガエシ

スポーツ観戦好きの諸々スポーツ話

触発されたノスタルジック1997

触発記事はこれ(日刊スポーツより)。正直、日刊スポーツなんぞに載るとは思わなかった引退記事。JT苅谷選手、お疲れ様でした。でも、こんなに長く続けるとは、驚きだったりもする(失礼な)。
さて、先日書いた記事の続きみたいな話。
1997年、まだ語っていなかった、他の関東大学一部リーグ。まだ6チーム制(ただし秋季は7チームの変則。ユニバーシアードがあった関係で、東海大が自動昇格したのだったっけ)。残りの一部チームは日体大・亜大・順大(以下、選手敬称略)。
日体大の主将が、実は上記の苅谷。4年に小坂(サントリー武富士コーチ)・山元(NTT東海、後チーム名が「NTT西日本」に改名、その後NTT西日本を母体としたクラブチームを経て、今はこちら)・吉田(確か9人制NKK福山、現JEF西日本に在籍したはず)、3年に堀江(警視庁)、1年に山本(松下電器)、等。サイドは小坂が大黒柱で、あと2席が吉田or堀江or山本、だった、確か。そんなに強くもなかったが、弱くもないチームではあった。割と熱血系のいいチームではあったな…。全カレ3位の時の、苅谷の涙を思い出す。
亜大主将は丸山(旭化成)。あまり記憶がないのだが(実は前年の方が記憶にある。谷川(9人制横河電機)とか…主将とか…)、3年に関根(9人制横河電機)、2年に北川(松下電器豊田合成)・中沢(東京トヨペット)あたりがメンバー。
順大主将は大平(日立国分、現在もクラブチーム所属はしてる、かな?)。4年に桐生(日立国分)・佐々木(9人制東北リコー)、2年に千葉(堺)というあたりがスタメン。控えに4年小森谷(富士通)。この頃の順大、激弱だったんだけどね。千葉が小指骨折しながらスパイク打ってた時期だもの…。でも弱いけど、凄い「面白い」チームだった。あのノリを越えたチームはいまだに私は知らない。
当時の資料、結構家にある。丁度バレマガが大学バレーをクローズアップし始めた時期で、今の今まで残っている。日体大小坂・堀江・山本の対談記事は今となっては家宝だ。そして何気なくその資料をもう一度眺めたら。

「守れて攻めることもできるプレーヤーを目指して」

…。
…若気の至りだったんですかね、警視庁のあのお方。